横浜赤レンガ倉庫

先日横浜に行く機会があり、横浜赤レンガ倉庫を訪れました。

横浜という街は、文化財が多く遺り、歩いているだけで明治・大正の気配を感じ、文化的な気分に浸れるのが楽しいです。関内からみなとみらい地区へ歩いていくと、街並みの中に数々の文化財がとけこんでおり、横浜赤レンガ倉庫への期待が高まります。

税関のレンガ造りの事務所の遺構を通り過ぎ、道が開けたかと思うと、ランドマークタワーにみなとみらいの観覧車が目に飛び込んでザ・横浜!!ウォーターフロント!!!!と気分は最高潮に達します。そしてしばらく歩くとレンガの外壁が見えてきます。





建物はその名の通り総レンガの外観と奥行きのあるスケールがとても印象的です。1911年向かって保存倉庫として完成し、一時は使われておらず、取り壊しの可能性もあったようですが、向かって右の1号倉庫は文化施設、左の2号倉庫は商業施設として2002年に再生され、竣工100年建った今も賑わいの中心にあります。

日本の建築技術史上の記念碑的大作でありながらも、現在も尚、ショッピングや文化交流に賑わっていることに感動してしまいます。建物の保全のため、コンバージョンし、今ある建物を積極的に活用していくのは、欧米ではよくある街づくりの手法ですが、日本においては、保存・再生はうまくいっても、歴史の産物となるパターンが多い気がします。中に入っている店舗も流行最先端で、とてもおしゃれでした。きっと人気のテナントなのでしょう。



今となっては、赤レンガ倉庫の再生は成功したとされていますが、新築当時の面影を残しながら、保存・保全をするために新築当時の図面もそろわない手探り状態の中、設計士、施工会社は数々の工夫を見せています。

まず、建物の保存ために多くのレンガを取り替える必要がありました。新築当時を再現するために、設計士が世界中から既存レンガに似たものを探し結果的に中国産のものをJIS規格に適合させ、採用したようです。
新築当時に使用されたレンガの生産地は不明ですが、全て日本国内で作られたレンガだということがわかっています。



また、新築当時最新鋭の技術を使用していた赤レンガ倉庫は、既存のレンガのまま耐力試験を行ったところ、構造耐力的にはなんの問題もないことが明らかになりました。そこで、レンガの交換に加え、レンガの目地をエポキシ樹脂で補強するにとどまりました。
そのようにして、建物は息を吹き返していったそうです。





よく見ると、竣工時と改修時のレンガがわかる気がします。

屋根材は元々三州瓦を使用しいたようですが、次の100年、200年に向け強度のあるものに取り換えたようです。個人的には現在の屋根材の方が好きです。





屋根上に取りつけられているとてもシックなデザイン性のある避雷針がおしゃれです。原型をとどめていた当時のものを原寸で書きおこし、ステンレスとアルミで再現したものです。本来建物の高さは20m以下なので、法規的にはとりつけの必要はありませんが、あるのとないのじゃ見た目に大きな違いがあります。



新築当時、溶接技術が発達しておらず、部材の接合にはリベット(鋲)が多く使われていました。痛んだリベットを取り替える必要がありましたが、当時リベットを販売している会社はありませんでした。
そこで、土木会社に製作を依頼し、古くなったものをひとつひとつ交換していったようです。この交換すること一つをとっても施工会社の裁量にゆだねられていたのでした。





鉄骨の梁、防火扉に取り付けられたリベット

再生後、横浜赤レンガは当時想定していた年間200万人動員をはるかに上回り600万人近い動員となりました。横浜のランドマークとなり、今も街の中心であり続けています。

施工会社は当時の図面もそろわない中手さぐりで工事を行ったこと、運営形態も民間と行政が担うというユニークな形態をとりながら、設備スペースは共有する等、管理上の問題をうまく処理する設計士の問題解決能力、実現能力も素晴らしいと思いました。



これは学術・技術・芸術の結集がなければなしえなかったことと当時のプロジェクトに携わった人はいいます。取り壊しの可能性があった横浜赤レンガ倉庫を再生すると決めた人々の熱量を感じ、熱くならずにはいられずブログ記事にしてしまいました。

長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。



****福岡の木造施設はメイプルホームへ**** 20170911

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